2017年02月15日

父親

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昼過過ぎ、携帯に叔母からの着信あり。良い話だといいのだけれど、
良い話があった事の方が少ないよなあと思いつつ、夜に電話を掛けた。
親父から電話があったようで、昨日、実家に様子を見に行った事を伝える内容だった。
あれからギロンを持ち出してガメラを突いたとかはなく、精神面よりも、
肉体的な衰えの方が気になったようだった。
親父は私が幼少の頃に仕事で椎間板ヘルニアを患い、当時はろくな治療法もなく、
治療のことで病院側と揉めた後、脊髄を削る?という、聞くだけで顔を歪めて
しまうような粗い手術を施されたらしい。現在に至るまで慢性的に痛みはあったが、
老いてからはその削ったカ所が陥没し、歩いてると腰が90度近くまで曲がってしまい、
そのまま歩けなくなる。ただ、椅子に座らせておにぎりを食べるとまた腰がまっすぐに
戻り、歩き出すという、吉本新喜劇のような嘘のような本当の話。
そんな過去の無茶な手術をしたにも関わらず、これまで好きな海山を十分に楽しみ、
去年は御先祖に呼ばれたのか、前日に「行こう」と思い立ち、慣れない電車で翌日には
鹿児島市内にある墓まで云十年振りのお墓参りまで済ませた。
ここまで持ったのはある意味、奇跡じゃないのか、だから今はもう仕方がないんじゃ、
というのが私と叔母の意見であった。ただ、近いうち、車椅子の生活になるのは目に
見えてるので、その準備もしなければいけないと。それは叔母にも言えるが…

母親とは揉めなかったか?との私の問いに、叔母は揉めることはなかったが、
親父の側で聞えよがしに現在の親父の変化を馬鹿にし過ぎと。それから昔の話に遡り、
母親は若い頃の方が常に苛々し、おまけに嫉妬深くて誰も近づけなかったと言っていた。
まあ、私の母親なので、できれば中立の立場で物事を見聞きしたいと思うのだけれど、
その事に関してはほぼ同意する。幼少の頃より、文房具ひとつ頼むのに鬼のような
形相でねめつけ、怒りを殺したような口調で渋々買ってもらってた記憶が染みついてる。
段々とそれが恐ろしくて学校からの連絡事項すら伝えられず、家と学校で二重に叱られる
日々が4,5年間は続いた。その間に精神面を救ってくれたのは叔父と叔母だったので、
不細工でも何とかここまで生きてこれたと言っても過言ではない。ほんと。
特別、家が貧しかったわけでもなく、後年、嫁姑の関係、叔母との確執の事を知り、
その為に日頃から苛々していたんだろうとは思ってみたが、今もそれは変わらないので、
皆、それぞれ癖のある性格ではあるけれど、母親に勝てる者がいるか?と訊かれたら、
きっと誰もいないだろうと思われる。本人曰く、子供の頃から朝晩の味噌汁に入れる
蟹を雨の日も風の日も五島の岩場にしがみついて獲ってたんやと。だから自分は強い、
と言いたいんだろうけれど、思わず指輪物語のゴラム(スメアゴル)を思い出した。
なんとも野性的というか、野獣な一面を持ってるというか。
それでも現在まで、母親は母親なりに奮闘はしているので、先日、新しいリュックが
欲しいと頼まれ、小型のしっかりとした作りのリュックをプレゼントした。
喜んでる時などは素朴な田舎の子供のようで、まあやり易いんだけど…
あと霊的な話になると、根底にご先祖同士の因縁(詳しく書くと長いがある意味面白い)
があると私は睨んでいるので、その為にごく普通にご先祖供養をしている。
ただ、私の出来る範囲は限られているので、やるだけの事はやって、あとはもう成り行き
任せにしようかと。徐々に介護の方に移行になるだろうし。まあ、頑張らねば。



追記:婆さんの生まれから亡くなるまでの話をちゃんと聞けたのは大きかった。
若い時に胃を患い、戦争帰りの近所の爺さんからモルヒネ貰って打ってたとか。
前日に倒れ寝込み、そのまま眠るように亡くなったとか。婆さんの想い出は
あるけれど、より身近に感じれるようになったので話してくれてよかった。
途中で種子島の話題になった際、ついつい「種子島といえば狗神憑き…」
と頭を過ったが、お前、今は余計な事を聞くんじゃないよと、第三の手で
頭を小突かれたような気がして叔母に尋ねるのはやめた。





今日聴いたCD

Paradise Lost - Gothic

posted by 裸木 at 00:00| モスクワ | 人生色々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする